令和8年3月21日に笠間公民館で、「笠間城跡の測量結果と出土遺物展」が開催されました。連載した記事の内容は、㈲三井考測からの解説の範囲内で再構成しています。3月28日に現地確認を行っている時に、笠間城内で撮影した写真を基に記事を作成することにしました。今回の記事は、「笠間城跡の測量結果と出土遺物展」とは関係なくなるのでご了承下さい。
①笠間城の城門

二之門,中之門,玄関門の位置図
①二之門

二之門跡より撮影

二之門 常州笠間城圖(南葵文庫)より

二之門脇の石垣①

二之門イメージ図
二之門跡地には、管見の限り礎石は確認できていない。昭和39年に新設された道路により消滅したか、堆積土で覆われているか検証が必要である。また、二之門跡の脇に石垣が確認できた。二之門の石垣の一部だった可能性が有る。
笠間城跡保存整備基礎調査報告書によると、「二の門両側に描かれている小規模な石積みも消滅したと考えられる。」とありますが、私は一部残存していると考えています。
2026年5月30日に再度訪問し、確認したのが以下の写真です。

赤のライン上に二之門があったと思われる。

赤のラインの箇所を横からみた写真

『二之門脇の石垣①』を横からみた写真。赤のライン上にある。
上記の写真からもわかるように、二之門脇の石垣は、門があったと思われる赤のライン上にあり、城絵図の描写と矛盾はない。
②中之門

中之門跡より撮影

中之門の礎石か?

中之門 常州笠間城圖(南葵文庫)より
宝暦5年城修復伺絵図と、南葵文庫蔵笠間城圖を比較すると、南葵文庫蔵笠間城圖の方だと、中之門の箇所に石垣が見られませんが、宝暦5年城修復伺絵図の方だと、石垣が見られます。
中之門の石垣については検証が必要である。
ちなみに、享保4年笠間城破損ヵ所分間絵図は、宝暦5年絵図と同様に石垣が描かれている。
笠間城跡保存整備基礎調査報告書によると「中の門は、西側の石積みの一部が残る。修復伺絵図では中の門の東側にも数十メートルにわたり石積みが描かれているが、この石積みは道路により破壊され消滅している。」*1
2026年5月30日に再度訪問し、確認したのが以下の写真です。草木が茂っているためよく見えないが、石のようなものが見える。中の門の石垣の一部と思われる。基礎調査報告書に記載のあった「西側の石積みの一部」とは、この箇所であろう。


赤で囲った箇所が中之門の東側の石垣
基礎調査報告書に記載のあった「中の門の東側…石積みは道路により破壊され消滅している。」とは、この箇所の石垣の事であろう。
③玄関門

玄関門跡より撮影

玄関門の礎石

玄関門 常州笠間城圖(南葵文庫)より

宝暦5年常陸国笠間城修復伺絵図(玄関門)
宝暦5年城修復伺絵図と、南葵文庫蔵笠間城圖を比較すると、南葵文庫蔵笠間城圖の方だと、手前の階段を上がるとすぐに玄関門という構造ですが、宝暦5年城修復伺絵図の方だと、階段が上がったら、塀に囲まれた空間があり、その先に玄関門がある構造です。玄関門の位置については検証が必要である。
ちなみに、享保4年笠間城破損ヵ所分間絵図も宝暦5年絵図と同様の構造である。
2026年5月30日に再度訪問し、確認したのが以下の写真です。天明6年の修復伺絵図でも、玄関門付近の描写を確認しましたが、宝暦5年絵図と同じ描写でした。
現地で確認したところ、石段を上がったら、写真Aのように、地面に一列に石が埋め込まれいるのがわかる。この石列が玄関門と関連性があるなら、この箇所に玄関門が建っており、玄関門と、石段との間にスペースがあるという事になる。
しかし、写真Bをみると、礎石と思われる石は、石段側に近い場所にあり、写真Aの石列の直線上には無い。礎石の場所から見ると、門は石段に近い場所にあり、南葵文庫蔵笠間城圖の描写の方が近くなる。そのため、現地確認した結果、玄関門の位置に関して結論は出ず、笠間市の調査報告書を待ちたいと思う。

玄関門の付近の石敷(写真A)

玄関門の礎石の場所(遠景)【写真B】

玄関門の礎石と思われる石
笠間城跡のある佐白山は、昭和39年に「佐白山観光道路」が新設されている。そのため、車道を通すにあたり、特に三の曲輪がかなりの改変を受けている。
城絵図と、現地の遺構から当時の三の曲輪の様子を考察する。
現在の出入り口は、①の地点ですが、当時は本丸に「裏門」がありました。現在、絵図に描かれた裏門および脇の石垣の痕跡は見当たりませんが、裏門に至る旧登城路の途中にあったと思われる石垣(青のマーカー線が石垣の箇所です。)が残存している可能性があります。

現在の三の曲輪の様子

宝暦5年常陸国笠間城修復伺絵図(三の曲輪)

享保4年笠間城破損ヵ所分間絵図(三の曲輪)

三の曲輪 説明図

①の地点から撮影した写真

②の地点から撮影した写真
赤枠で囲った箇所に石垣があります。

三の曲輪の石垣
また、玉滴の井戸に下りる前に「東門」があった。階段もしくは坂道があったと思われる。しかし、裏門と同様に現在、東門および通路の痕跡は残っていない。

三の曲輪(東門跡地付近)
・佐白山観光道路の舗装路から、玉滴の井戸を見下ろす位置で撮影。この辺りに東門があったとされる。

三の曲輪(玉滴の井戸付近)
・玉滴の井戸の場所から、先程の撮影場所を見上げる形で撮影。山の斜面が擁壁で改変されたことが分かる。このため、ここに下りる通路(恐らく階段か坂道か?)が破壊されたと思われる。