笠間綱家の花押
・笠間綱家の花押は2種類確認されている。
パターン1は下記のような天正年間~天正18年に用いられた花押です。
・パターン2は下記のような花押です。天正19年以降の文書に見られるもので、宇都宮氏から闕所処分となり、宇都宮の館に幽閉されていたと思われる時期の花押です。
①寺崎文書(六月廿七日)
「考文禄元ノ書カ」と秋田藩記録所の注記がある。おそらく書状中の「とせん」を渡鮮と解釈して文禄・慶長の役の時書かれたものと判断したと考える。
ただ一説として、「『見よしの中納言』ですが、三好中納言秀次だとすると、文禄の役の段階では関白職に就いて豊臣家を継承しており、姓も官職も全く違います。これは天正19年(1591)年2月に勃発した九戸政実の乱だと考えると、まだ秀次は中納言であり、…私の読みの『奥陣』の妥当性が高くなります。」*1という解釈もでき、この説だと天正19年6月27日と比定しています。
②福田文書(天正拾九年正月吉日)
笠間綱家官途状写「官途之事 綱家(花押影) 天正拾九年正月吉日 福田大炊頭殿」
*1:巻島隆「ココナラ、くずし文字解読古文書探偵氏」