笠間綱家の妻について
・笠間綱家の妻について
『佐竹分脈系図』の大山氏の項で大山因幡守義景の娘が、「笠間孫三郎綱家ニ嫁ス」との記載がある。
また、大山氏からの嫁入りを勧めたのは、家宰である寺崎氏の可能性が高い。
『諸士系図』の寺崎氏の項で、「天正十五六年の頃、綱家妻なきに依て、出羽守議て、大山因幡守義景の女を娶らしむ時に、笠間氏の臣路川大和守某叛逆め、綱家及び出羽守父子を亡さんとす。」という記事がある。
記事の真偽が不明だが、この内容が本当であれば、路川大和守の謀反は、佐竹氏庶流大山氏からの嫁入りに反対したことがきっかけの一つであったことが想定される。
天正18年中に笠間綱家が、闕所処分を受けた以降の綱家の妻の動きは不明である。実家の大山氏に戻ったのか?綱家と行動を共にしたのか?
今後、闕所後の綱家がどのような行動をしたのかが研究課題である。
引用